沿革

1970年頃

会社設立の経緯

会社設立の経緯
1970(昭和45)年、アジアで最初の万国博覧会が千里丘陵で開催されることになり、会場へ入場者を輸送するにはどうするかが問題となった。当時、推計で入場者3,000万人を輸送するためには、会場へ直接乗り入れる新しい鉄道の建設が必要となった。
一方、鉄道関係者は、その膨大な建設費と万国博終了後の輸送需要の期待薄から乗り入れに消極的であったが、最終的には1967(昭和42)年に運輸大臣、通商産業大臣、大阪府知事、大阪市長および京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)社長の5者会談で政府、府、市等の援助を条件として京阪神急行電鉄を主体とする新会社を設立し、観客輸送に万全を期すことが決定された。
この新鉄道は、当時の最新鋭設備を備え、最も合理化の進んだ鉄道として、豊中市と吹田市に跨る千里丘陵に建設されている住宅都市「千里ニュータウン」の中央を貫通して大阪市営地下鉄御堂筋線と接続し、万国博終了後も人々の生活に密着した輸送を担当することを目的としていた。
北大阪急行電鉄株式会社はこのようにして1967(昭和42)年12月11日に設立された。

設立より現在までの経営の歩み

『建設の時代』1967(昭和42)年~1970(昭和45)年

『万国博輸送の時代』1970(昭和45)年

設立より現在までの経営の歩み
当社設立の目的であった万国博覧会入場者の主たる輸送機関として、連日連夜の観客輸送に尽瘁し、6カ月間、無事故で安全輸送に努め「博覧会成功の功労者」とも称された時代である。

1971年頃

『苦難の時代』

1971(昭和46)年~1974(昭和49)年

ベッド・タウン居住者の「日常の足」としての使命を有しながらも、地域の開発が進まないために、充分な収益を確保することができず、毎年、巨額の損失を計上せざるを得ない状況に陥った。このことは、当初から予測されていたことではあるが、この1971(昭和46)年から1974(昭和49)年までの4年間こそ、もっとも恐れていた事態に直面した時代であり、全社一丸となって、徹底した合理化対策の実践に没入し、本業補完のための不動産事業へ進出した時代である。

1975年頃

『前進の時代』①

1975(昭和50)年~1978(昭和53)年

『前進の時代』①
沿線地域の開発が順調に伸展し始めるころ、緑地公園駅が営業開業し、さらに期待していた不動産事業も寄与するにおよんで、暗黒不安の経営環境に少しずつ曙光がさし始めた時代である。

1979年頃

『前進の時代』②

1979(昭和54)年~1984(昭和59)年

立地環境の好転に加えて、苦節克服によって培われてきた体力を縦横に駆使したことにより、経営基礎が確立された時代である。

1985年頃

『前進の時代』③

1985(昭和60)年~1992(平成4)年

『前進の時代』③
営業路線の軽少な当社であるが、交通の大動脈である大阪市営地下鉄御堂筋線と相互直通運転を実施しているため、1987(昭和62)年4月、鉄道事業法上「第1種鉄道事業のうちの準大手民鉄」として指定され、この間の当社を取り囲む環境と社会的欲求の変化に伴い、その使命と期待が著しく増大した。
その状況に鑑み、1985(昭和60)年以降、企業の内外両面における質的革新の諸施策を継続的に実施した時代である。
最新鋭車両8000形「ポールスター号」、鉄道制御トータルシステム「POSTTOCS(ポストックス)」をはじめ、乗車券類発売集計業務のオンライン・システム化、事務全般にわたるOA化、桃山台駅・緑地公園駅の美観向上等、諸施策を相次いでデビューさせた。
また、大阪モノレールの開業を契機に、千里中央駅を北摂最大のターミナルにふさわしいものにするためリニューアル工事等を実施した。

1993年頃

『前進の時代』④

1993(平成5)年~1997(平成9)年

『前進の時代』④
新たに「企業理念」「行動指針」を制定した。ひき続き輸送力増強・サービス向上のため、当社線内において初めてのエレベーターやインフォメーションを千里中央駅に、桃山台駅には階段昇降機を設置した。さらに、列車編成の10連化、5社局共通のストアードフェアシステム「スルッとKANSAI」の導入に伴う駅務機器更新等を実施し、さらにATC装置の改良、桃山台駅のリフレッシュ工事、千里中央駅のトイレ改修工事を実施した。また、震災以来継続している高架橋耐震補強工事も実施した。
不動産事業では、桃山台駅前に建設していた北急桃山台ビル(アザール桃山台)が1997(平成9)年2月より開業した。また、12月11日には創立30周年を迎えた。

1998年頃

『変革の時代』①

1998(平成10)年~2002(平成14)年

戦後最悪と言われた不況の波が企業の生産活動や個人の消費行動を低迷させ、不況感が国全体を包みこんだ。この厳しい経営環境に耐え抜くため、組織のスリム化と効率的な業務の運営を目指した組織の改正や、コンピュータによるネットワーク化とファイリングシステムの導入によるペーパレス化を積極的に推進して、企業体質の強化に力を注いだ。

しかし、長期的な不景気による出控え、高齢化・少子化等により営業収入の増収を見込むのは困難な状況となり、より一層の効率化やコストの削減、不急投資の抑制、新しい収益源の確保に積極的に取り組み、経営状況は順調に推移するに至った。また、兼業部門における事業の拡充を図るべく、保育事業や駅構内における直営事業ならびに賃貸事業を積極的に展開し、収益の増収に努めた。

2003年頃

『変革の時代』②

2003(平成15)年~2007(平成19)年

『変革の時代』②
長期的な不景気により、当社の輸送人員は減少を続けていたが、2006(平成18)年度からは沿線の再開発等が進み、輸送人員に回復の兆しが見え始めた。
当社では会社法の施行に伴い、取締役の職務の執行が法令および定款に適合する体制を整えた。2006(平成18)年には内部監査機能の強化を図り、会社業務の適性を確保するための体制を整備。さらに同年10月には「安全管理規程」を作成して安全マネジメントの強化に取り組み、2007(平成19)年より毎年輸送の安全に関わる情報等を記載した「安全報告書」を公表している。
設備投資においては、鉄道制御トータルシステム「POSTTOCS」の更新や緑地公園駅のバリアフリー化・緊急地震速報システムの設置、ICカード「PiTaPa」やIC定期券の導入に伴う改札機や券売機の更新等、安全輸送の確保と快適なサービスの提供に力を注いだ。
また、2007(平成19)年4月より将来の安全確保・技術・知識の継承等の施策として、車両課・電気課業務のうち検査・保守整備等の現場業務のシェアード化を進めた。

2008年頃

『変革の時代』③

2008(平成20)年~2012(平成24)年

新型インフルエンザの流行や、2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災の影響等により、企業収益は減少傾向が続き、雇用情勢の悪化や出控えによる個人消費の低迷をもたらした。当社においても下げ止まっていた輸送人員が一時大幅に減少したが、2011(平成23)年度以降は大阪市内の商業施設の開業や沿線の人口増により増加した。
そのような中、当社では2010(平成22)年4月に桃山台駅北改札口の営業を開始し、全駅のバリアフリー化が完了した。また、安全輸送確保のための教育・訓練の見直しや、社内コミュニケーションの充実と組織の活性化を図る取り組みを積極的に実施した。
さらに、2010(平成22)年7月からビル運営管理業務のシェアード化を図るとともに、2011(平成23)年4月より駅遠隔システムを導入し、より効率的な業務運営体制の構築を進めた。
一方で、オリジナルグッズの開発ウオーキングイベントの実施、企画乗車券の新規発売等、グループ会社や他社と連携し、営業活動に力を注いだ。

2013年頃

『変革の時代』④

2013(平成25)年~2019(令和元)年

『変革の時代』④『変革の時代』④『変革の時代』④
国内における経済政策の効果や株価上昇等の影響により企業収益や個人消費が改善し、景気が回復する兆しが見られる中、当社においては、千里ニュータウンやその周辺のマンションの建て替え等により、沿線人口は増加傾向で推移し、大型商業施設「エキスポシティ」の開業等の好条件にも恵まれ、輸送人員は徐々に増加した。
そのような中、さらなる利便性の向上を目指し、交通系ICカード全国相互利用サービスを開始する他、大阪モノレールや大阪地下鉄とのIC連絡定期券、ICOCA・ICOCA定期券を発売し、交通系ICカードの利用拡大を図った。
2014(平成26)年4月には、当社の新しい象徴となる新造車両9000形「POLESTARⅡ」が営業を開始し、9003編成より沿線風景として馴染みのある「竹林」をテーマとしたデザインに一新した。2017(平成29)年度には千里中央駅、桃山台駅、緑地公園駅の3駅で可動式ホーム柵の運用を開始した。
不動産事業においては、緑地駅ビルの24時間対応やトイレ改修、商業フロアのリニューアルを実施し、商業施設・オフィスビルとしての営業強化に努めた。また、2017(平成29)年12月11日に創立50周年、2020(令和2)年2月24日に開業50周年を迎え、沿線地域やお客様との繋がりをより深めるために開業50周年事業「北急家族(きたきゅうふぁみりー)PROJECT」を始動し、各種イベント等を展開した。
箕面延伸事業については、箕面新都心の開発等に伴い発生する輸送需要に対応するとともに、大阪都心部へのアクセス機能の強化、道路交通混雑の緩和および環境負荷の軽減のために資する路線として、2004(平成16)年の近畿地方交通審議会において「京阪神圏において、中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線」と位置づけられてきたが、2014(平成26)年3月に大阪府、箕面市、阪急電鉄と当社の4者で事業着手に向けた基本合意書を締結し、事業を進めていくこととなった。関係機関との協議を重ね、2015(平成27)年12月に鉄道事業の許可、軌道事業の特許を取得、2016(平成28)年11月に工事施行認可を取得し、2023(令和5)年度末の開業を目指し、工事に着手した。

2020年頃

『ニューノーマルの時代』①

2020(令和2)年~

新型コロナウイルス感染拡大は、社会・経済に対し、世界規模で大きな影響を与えた。緊急事態宣言の発令による外出自粛、リモート会議・在宅勤務の導入等の新たな生活様式の拡がりの影響から、鉄道事業者を取り巻く事業環境も大きく変化し、当社業績も大きな影響を受けた。2022年度には新型コロナウイルス感染拡大の影響からの回復の兆しが見えたが、エネルギーや原材料の価格高騰に伴う物価上昇などがあり、依然として先行きが見通しづらい状況である。更に、輸送人員がコロナ前に戻らないことが予想される中で、今後も業績の向上を図り、成長を続けていくためには、生産性向上に向けた不断の取り組みにより、収益力やキャッシュフロー創出力を強化することが求められる。
間近に迫った延伸線の開業は「第二の創業」ともいえる一大プロジェクトである。不動産事業においては、少子高齢化、待機児童解消、新型コロナウイルスの感染拡大等により、保育事業の売上が落ち込み、改善の可能性が低いことから2022(令和4)年3月に撤退するに至った。

2024年頃

『ニューノーマルの時代』②

2024(令和6)年~

『ニューノーマルの時代』②
箕面延伸区間の工事が竣工し、2024(令和6)年3月23日に箕面延伸線(南北線延伸線)が開業した。営業路線は2.5キロ延伸し、全営業路線の延長は8.4キロとなり、新たに箕面船場阪大前駅と箕面萱野駅の2駅が営業を開始した。また、開業に向けて増備した3編成のラッピング車両や、新たに完成した2つの駅に加え既存駅についても、駅名看板・案内サインを30年ぶりにデザインを一新するなど、積極的に広報活動・PR活動を展開した。
豊中、吹田市域に加え箕面市域が沿線地域として広がり、さらに多くのお客様に、より安全で安定した輸送サービスを提供する使命を果たし、企業理念である「地域と共に展びる」を実現していくこととなった。